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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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記事の分野

文化・歴史

料理、音楽、文学、工芸。ウクライナの文化と、その背景にある歴史。

  1. 文化・歴史/解説

    2026年は西方より1週間遅い4月12日。ウクライナの復活祭の決まり方

    2026年の復活祭は、ローマ・カトリックが4月5日、ウクライナ正教会とギリシャ・カトリック教会が4月12日でした。2023年の暦の改正でクリスマスは12月25日に移りましたが、二つの教会は復活祭の計算を変えていません。春分と満月の決め方、年ごとのずれ、復活祭から数える祝日、国の祝日としての扱いを、教会の決定と教会暦から見ていきます。

  2. 文化・歴史/解説

    フルーヒウからボローニャへ。18世紀ウクライナの作曲家3人

    1771年、フルーヒウ生まれのベレゾウシキーはボローニャのアカデミア・フィラルモニカの試験に通りました。同じ町に生まれたボルトニャンシキーもイタリアでオペラを上演し、キーウのヴェデリは合唱協奏曲を書きました。宮廷聖歌隊へ少年を送った歌の学校から、事典ごとに違う生年や作品の数まで、3人の歩みを三つの事典と学校の記録からたどります。

  3. 文化・歴史/解説

    記録に残る7年と、語り継がれた話。オプリシュキの頭領ドウブシュ

    18世紀の前半、カルパティアの山地で領主や商人を襲ったオプリシュキの頭領オレクサ・ドウブシュ。「ウクライナのロビン・フッド」とも呼ばれる彼について、事典が記録から書く1738〜1745年の出来事と、1910年に集められた言い伝え、「義賊」という見方の分かれ方を、二つの事典と民俗学の集成から分けてたどります。

  4. 文化・歴史/解説

    公開まで20年待った『短い出会い』と、監督キーラ・ムラトワ

    1967年にオデーサ映画撮影所で完成した『短い出会い』は、およそ20年ほとんど上映されず、1971年の『長い見送り』とともに1987年に公開されました。監督キーラ・ムラトワの生涯を、事典、大統領令、ベルリン国際映画祭の記録で追い、資料ごとに違う年も並べます。

  5. 文化・歴史/解説

    会員の2段階の投票で選ぶ「ゾロタ・ジガ」とウクライナ映画アカデミー

    ウクライナの国民映画賞「ゾロタ・ジガ」は、映画の作り手の団体ウクライナ映画アカデミーの会員の投票で、多くの部門の受賞者が決まります。2026年7月には第10回が開かれました。会員の資格、2段階の投票、全面侵攻で遅れた回、米国アカデミー賞に出す作品を選ぶ委員会の決まりを、アカデミーの規程と発表から並べます。

  6. 文化・歴史/解説

    キーウの黄金の門と、1982年の「1500年祭」

    キーウの黄金の門は、年代記の1037年の項に初めて現れるヤロスラウ賢公の町の正門です。いま見える塔と教会は、1982年の「キーウ建設1500年」に合わせて廃墟の上に建てられた覆い屋です。事典ごとの呼び方と、「1500年」が何を数えたのかを見ます。

  7. 文化・歴史/解説

    チェルニーヒウの救世主変容大聖堂と、1036年の年代記

    チェルニーヒウ公ムスティスラウが建て始めた救世主変容大聖堂は、1036年の年代記の項に「馬上で手の届く高さ」まで積み上がっていたと書かれています。仕上がった年、「最も古い」という言い方の条件、18世紀の改築と20世紀の保護を、事典と年代記から見ます。

  8. 文化・歴史/解説

    1883年、ガスプリンスキーが出した新聞『テルジュマン』

    1883年4月10日、クリミアのバフチサライで新聞『テルジュマン』の第1号が出ました。出したのはイスマイル・ガスプリンスキー。クリミア・タタール語とロシア語の紙面は、ロシア帝国のテュルク系の人々にも読まれ、学校の改革の運動とも結びつきました。二つの呼び名、終刊の年、ノーベル賞の推薦の話まで、資料ごとに見ていきます。

  9. 文化・歴史/解説

    聖メラニアの日の晩、仮装して家々を回る「マランカ」

    「マランカ」は、聖メラニアの日の晩に若者が仮装して家々を回る、新年の前夜の行事です。事典は、女装した若者のマランカやヤギの役が家を訪ね、いたずらをして祝い歌で締めくくると書いています。国の無形文化遺産の目録には、ブコヴィナとベレルヤ村のマランカ、全国の「豊かな夕べ」の三つが載っています。日付が12月31日と1月13日に分かれる理由も説明します。

  10. 文化・歴史/解説

    1896年9月、ハルキウの行列を撮った1分半。写真家フェデツキー

    1896年9月30日、ハルキウの写真家アルフレッド・フェデツキーは、町を進むイコンの行列を約1分半のフィルムに収めました。12月2日には歌劇場で自作の映像を上映しています。ジトーミル生まれの写真家が映画に関わった1年あまりの記録と、「ウクライナで最初の映画」という言い方が何を数えているのかを、事典と研究書からたどります。