
記事の分野
文化・歴史
料理、音楽、文学、工芸。ウクライナの文化と、その背景にある歴史。
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コサックの舟「チャイカ」の寸法は、一冊の本から来ている
ザポリッジャのコサックが黒海へ漕ぎ出した舟「チャイカ」。長さや乗員の数の多くは、1660年にルーアンで出たフランス人技師ボープランの本に行き着きます。その本は舟を「チャイカ」とは呼んでいません。舟の作り、事典どうしの数字の違い、ドニプロ川から引き揚げられた舟の扱いを見ていきます。
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スルタンが帰郷を許すオペラ『ドナウの向こうのザポロージェツ』
1863年、サンクトペテルブルクで初演された喜劇オペラ『ドナウの向こうのザポロージェツ』は、シーチを追われたコサックの物語です。作曲者は自ら主人公を歌った歌手フラク=アルテモウシキー。台本の作者、「最初のウクライナのオペラ」という言い方、史実との違いを、事典と劇場の資料から見ます。
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火事から14年、ウィーンの設計で建て直されたオデーサの歌劇場
オデーサの劇場は1810年に最初の上演の季節を迎え、1873年に焼けました。いまの建物はウィーンのフェルナーとヘルマーの設計で1887年に開き、沈む地盤と補強の工事を繰り返してきました。三つの事典とユネスコの記載から、年の食い違いも含めてたどります。
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顔を描かない布の人形「モタンカ」は、どこまでさかのぼれるか
布を巻いて糸で結ぶ人形モタンカは、「魔除けのために顔を描かない」「トリピッリャ文化から続く」と紹介されることがあります。事典と、博物館の所蔵品を記録した論文を読むと、確かめられるのは20世紀の村の人形と、いま作り直されている新しい型でした。
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22年公開されなかった『渇いた者の井戸』と、ウクライナの詩的映画
1965年に撮られたユーリー・イリエンコ監督の『渇いた者の井戸』は「思想的な逸脱」を理由に棚に置かれ、公開は1987年でした。『火の馬』のあと、キーウの撮影所で続いた「詩的映画」の主な作品と、事典と所蔵機関で食い違う製作年、1974年に閉じられた経緯、そして「詩的映画」という呼び名の出どころをまとめます。
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1921年の『夜明け前の歌』。日本語で童話を書いたエロシェンコ
1921年、東京の叢文閣から、目の見えない詩人ヴァスィリー・エロシェンコの童話集『夜明け前の歌』と『最後の溜息』が出ました。1914年から7年間日本にいた彼の日本語の本、中村彝らが描いた肖像、生まれた場所と晩年の経歴で事典が食い違う点を、書誌と事典から見ます。
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1904年のブレシアで蝶々さんを歌った、ソロミヤ・クルシェルニツカ
1904年2月にミラノのスカラ座で初演された『蝶々夫人』は、5月にブレシアで手を入れた版が上演されました。そこで蝶々さんを歌ったのが、ガリツィアの村に生まれたソロミヤ・クルシェルニツカです。事典の記述から、その生涯と「作品を救った」という言い方の中身を見ます。
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700人のコサックを逃がした娘の歌。叙事歌ドゥーマ
決まった節を持たず、語るように演じられたウクライナの叙事歌ドゥーマ。捕虜を逃がした娘マルーシャ・ボフスラウカ、黒海の嵐で罪を告白するオレクシー・ポポヴィチの筋を1920年の本文から読み、最も古い記録と1908年の録音までを事典の記述でたどります。
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10キロ先まで音が届く、カルパティアの木の角笛トレンビタ
トウヒの木を割ってくりぬき、樺の皮で巻いた長さ1〜3メートルの角笛トレンビタ。カルパティアの山で死や婚礼を知らせ、2012年の調査でも葬送の列の最後を歩いて吹く奏者が記録されています。作り方、知らせてきたこと、「世界最長の楽器」という言い方の中身を、事典と調査報告から見ます。
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上の段で降誕、下の段で笑い話。二階建ての人形劇ヴェルテプ
上の段ではキリストの降誕とヘロデ王、下の段では農民や兵士、ザポリッジャのコサックの笑い話。二段の木の箱で演じられたウクライナの人形劇ヴェルテプの舞台と登場人物、始まりの時期をめぐる事典の書き方の違い、残る台本、20世紀の「生きたヴェルテプ」までを、ウクライナとカナダの事典からまとめました。