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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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記事の分野

文化・歴史

料理、音楽、文学、工芸。ウクライナの文化と、その背景にある歴史。

  1. 文化・歴史/解説

    ドヴジェンコが映画を撮り始めた、オデーサ映画撮影所

    オデーサ映画撮影所は1919年に生まれ、1920年代にはウクライナ映画の中心でした。ドヴジェンコが最初の作品を撮ったのもここです。1930年代以降はモスクワの撮影所の拠点として使われた時期があり、いまは非公開の株式会社で、国の持ち分をめぐる裁判もありました。名前の変遷、主な作品、いまの所有をたどります。

  2. 文化・歴史/解説

    1740年、メジビージに招かれた治療師。バアル・シェム・トーヴとハシディズム

    ユダヤ教の信仰運動ハシディズムは、18世紀のポディッリャ地方で、治療師バアル・シェム・トーヴのまわりから生まれました。1740年から暮らした町メジビージ、禁欲ではなく喜びを説いた教え、弟子たちが広げた運動、ひ孫でウマニに眠るブラツラウのナフマンまでを、二つの事典の記述でたどります。

  3. 文化・歴史/解説

    『過ぎし年月の物語』は、1110年代のキーウで3度編まれた

    キーウ・ルーシの歴史を伝える年代記『過ぎし年月の物語』は、12世紀の初めにキーウの修道院で編まれ、数年のうちに3度手を入れられました。原本は残っておらず、いま読めるのは14〜16世紀の写本です。誰が編んだとされるのか、写本はどこにあるのか、年の数え方、日本語訳の書名まで、事典と校訂本からまとめます。

  4. 文化・歴史/解説

    1812年に原本が焼けた叙事詩『イーゴリ遠征物語』

    1185年、ノヴホロド=シーヴェルシキーの公イーホルはポロヴェツとの戦いに敗れて捕らえられました。この負け戦をうたった『イーゴリ遠征物語』は、1795年に写本が見つかり1800年に刊行されたあと、1812年の火事で原本を失いました。作品の中身、偽作をめぐる論争、ウクライナでの読まれ方、日本語訳をまとめました。

  5. 文化・歴史/解説

    キリル文字で署名したフランス王妃、キーウの公女アンナ

    ヤロスラウ賢公の娘アンナは、1051年にランスの大聖堂でフランス王アンリ1世と結婚し、夫の死後は幼い王フィリップ1世の摂政になりました。キリル文字の署名、再婚と破門、わからないままの晩年、そして「国王が誓いを立てた福音書」の話がどこまで確かかをまとめました。

  6. 文化・歴史/解説

    バンドゥーラを弾いて座るコサック。民画「コサック・ママイ」

    あぐらをかいてバンドゥーラを弾くコサックと、そばの馬、樫の木、武器。17〜19世紀のウクライナで家の壁や戸、長持ちを飾った民画「コサック・ママイ」です。決まった構図、18世紀の半ばから加わった人物と「ママイ」という名前、18世紀末にできあがった姿を、ウクライナの歴史百科事典の記述からまとめました。

  7. 文化・歴史/解説

    諮問機関は「記載の延期」を勧めた。チェルニウツィーの府主教の邸宅

    チェルニウツィー大学の本館は、1864年から1882年にかけて建てられたブコヴィナとダルマチアの正教会の府主教の邸宅です。2011年、ユネスコの諮問機関は世界遺産への記載の延期を勧めましたが、世界遺産委員会は記載を決めました。建築家フラーヴカ、邸宅が大学になった経緯、評価が分かれた点をまとめます。

  8. 文化・歴史/解説

    1817年に閉じられ、1991年に戻った学校。キーウ・モヒラ・アカデミー

    1615年に寄進された屋敷で始まった兄弟団の学校は、1632年にペトロ・モヒラのもとで学院になり、ヘーチマンや聖職者を育てました。ロシア帝国のもとで衰え1817年に閉じられた学校は、独立直後の1991年に大学として再興されます。その歩みを、事典と法令でたどります。

  9. 文化・歴史/解説

    1814年の巣枠の巣箱。養蜂家ペトロ・プロコポヴィチ

    ウクライナの事典は、蜂を殺さずに蜜を取る巣枠の巣箱を1814年に作った人として、ペトロ・プロコポヴィチの名を挙げます。丸太の巣から巣箱への移り変わり、1828年に開いた養蜂学校、「世界初」という評価の読み方、事典で食い違う巣箱の数、FAOSTATに見るいまの蜂蜜の生産量をまとめます。

  10. 文化・歴史/解説

    北極海から2,820km、終点はドナウ河口の村。シュトルーヴェの測地弧

    ノルウェーの北の岬から黒海に近いドナウ河口の村まで、2,820キロ余りの子午線を三角形の鎖で測った「シュトルーヴェの測地弧」。1816年から1855年にかけての測量の目的と、2005年に10か国の世界遺産として記載された34地点のうち、ウクライナにある4地点の標識をまとめます。