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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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記事一覧

  1. 社会を知る/解説

    役人は1年でウクライナ語を。1923年に始まった「ウクライナ化」

    1923年8月1日、ソ連ウクライナ政府は、職員に1年でウクライナ語とロシア語を身につけるよう命じ、できなければ解雇すると定めました。ソ連全体の「現地化」の一部として始まったウクライナ化の決定の中身、首都ハルキウでの進み方、学校や新聞の数字、1930年代初めに方針が覆るまでをたどります。

  2. 文化・歴史/解説

    1932年10月、ハルキウの研究所がリチウムの原子核を壊した

    ハルキウ物理技術研究所は1928年に生まれ、1932年10月10日、加速した陽子でリチウムの原子核を壊す実験に成功しました。同じ年のケンブリッジの実験との関係、ランダウの理論部門、1930年代の逮捕、「中性子源」施設の2022年からの被害までを、事典とIAEAの発表でたどります。

  3. 社会を知る/解説

    改正法は7本、うち1本は違憲に。ウクライナ憲法の30年

    1996年6月28日に採択されたウクライナ憲法は、2019年までに7本の法律で改正されました。2004年の改正は2010年に憲法裁判所が手続き違反として効力を失わせ、2014年に議会が戻しました。司法の章の書き換え、EUとNATOへの加盟の方針、そして戒厳令のもとで改正が禁じられている条文まで、改正法の本文からたどります。

  4. 文化・歴史/解説

    ヘーチマンの力を縛る16か条。1710年、ピリプ・オルリクの「憲法」

    1710年4月、ポルタヴァの敗戦で国を離れたコサックたちが、亡命先のベンデルで新しいヘーチマンとの取り決めを結びました。年3回の総会議、国庫と個人の収入の分離、役職の選挙。ウクライナで「ピリプ・オルリクの憲法」と呼ばれる文書の中身、2008年に見つかった原本、「ヨーロッパ最初の憲法」という評価の出どころを見ていきます。

  5. 文化・歴史/解説

    仇討ちから罰金へ。キーウ・ルーシの法典『ルスカ・プラウダ』

    キーウ・ルーシの法をまとめた『ルスカ・プラウダ』は、原本がなく、1282年の写本をはじめ100を超える写本で伝わります。仇討ちを認めた短い版から、罰金に置き換えた長い版へ。成立をめぐる説、条文の中身、キーウ・ルーシのあとまで使われた経緯を、事典と校訂本からたどります。

  6. 文化・歴史/解説

    モルダヴァンカのギャング、ベーニャ・クリーク。バーベリ『オデッサ物語』

    ギャングの頭目ベーニャ・クリークが、20世紀の初めのオデーサの下町を舞台に動き回る。オデーサ生まれのイサーク・バーベリがロシア語で書いた短編の連作『オデッサ物語』の成り立ち、舞台になった地区モルダヴァンカ、主人公のモデルとされる人物、映画と日本語訳を、ウクライナの事典とYIVOのユダヤ百科事典からまとめました。

  7. 文化・歴史/解説

    ほとんど台詞のない三人のコサック。アニメ『コサックたち』

    フライ、オコ、トゥルの三人のコサックが、粥を煮て、サッカーをして、花嫁を救い出す。1967年にキーウの撮影所で始まったヴォロディーミル・ダフノ監督のアニメーション『コサックたち』の作品一覧、資料で食い違う本数と最終作の年、編集台帳に残る言葉、撮影所の名前の移り変わりを、ドヴジェンコ・センターの資料と事典からまとめました。

  8. 文化・歴史/解説

    上の段で降誕、下の段で笑い話。二階建ての人形劇ヴェルテプ

    上の段ではキリストの降誕とヘロデ王、下の段では農民や兵士、ザポリッジャのコサックの笑い話。二段の木の箱で演じられたウクライナの人形劇ヴェルテプの舞台と登場人物、始まりの時期をめぐる事典の書き方の違い、残る台本、20世紀の「生きたヴェルテプ」までを、ウクライナとカナダの事典からまとめました。

  9. 文化・歴史/解説

    10キロ先まで音が届く、カルパティアの木の角笛トレンビタ

    トウヒの木を割ってくりぬき、樺の皮で巻いた長さ1〜3メートルの角笛トレンビタ。カルパティアの山で死や婚礼を知らせ、2012年の調査でも葬送の列の最後を歩いて吹く奏者が記録されています。作り方、知らせてきたこと、「世界最長の楽器」という言い方の中身を、事典と調査報告から見ます。

  10. 文化・歴史/解説

    700人のコサックを逃がした娘の歌。叙事歌ドゥーマ

    決まった節を持たず、語るように演じられたウクライナの叙事歌ドゥーマ。捕虜を逃がした娘マルーシャ・ボフスラウカ、黒海の嵐で罪を告白するオレクシー・ポポヴィチの筋を1920年の本文から読み、最も古い記録と1908年の録音までを事典の記述でたどります。