記事一覧
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ベクレル、シーベルト、毎時と年間。原発のニュースに出てくる単位
ザポリッジャ原発について、IAEAは「放射線の値は通常どおり」とたびたび発表しています。ベクレル・グレイ・シーベルトの違い、「毎時」と「年間」の数字の結び方、ウクライナの法律に残るキュリーやベルという古い単位、そしてIAEAの発表が何を伝え、誰から聞いた情報なのかを見分ける手がかりをまとめます。
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種はほとんど国外に出さない。ウクライナのひまわり油
ウクライナはひまわりの種を1,000万トン以上とりますが、種のまま輸出するのはそのごく一部で、ほとんどは国内で油と搾りかすに加工してから輸出します。米国農務省の推計で見る種・油・輸出の量、世界の輸出に占める割合、そして1999年から種の輸出にかかっている関税の仕組みをまとめます。
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国の映画アーカイブ、ドヴジェンコ・センターの30年
キーウのドヴジェンコ・センターは、1994年の大統領令で生まれたウクライナ最大の映画アーカイブで、2025年1月時点で6万2千点あまりのフィルムを預かっています。何を保管し、何を取り戻してきたか、2022年の「再編」命令と裁判がどう終わったか、2025年に国立の地位が与えられるまでをまとめます。
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ソ連ウクライナの首都だったハルキウと、デルジプロム
1919年の末から1934年6月まで、ソ連のウクライナの首都はキーウではなくハルキウでした。首都の役所を集めるために建てられたのが、九つの棟を橋でつないだ「デルジプロム」(国家工業の館)です。首都の時代の始まりと終わり、建物の成り立ち、ユネスコの暫定一覧への記載と2024年の被害をまとめます。
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貴族と商人の寄付で1805年に開いた、ハルキウのカラジン大学
ハルキウ国立大学は、1804年に設立が認められ、1805年に開学した、ロシア帝国が支配したウクライナの土地で最初の大学です。貴族と商人に寄付を説いた創設者カラジン、自治と検閲の揺れ、ウクライナ語の講義、名前の移り変わり、「最も古い」をめぐる書き方の違い、2022年からの被害をまとめます。
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1794年9月2日に港の工事が始まった町、オデーサと自由港の時代
オデーサは、トルコの要塞があったハジベイに1794年、港として造り直された町です。碁盤の目の計画、リシュリュー公の統治、関税のかからない自由港の時代に、小麦の輸出で大きく育ちました。事典の記述と数字、自由港の期間の食い違い、2022年に「創建者たち」の記念碑が下ろされた経緯をまとめます。
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森のマウカ、川のルサルカ、家のドモヴィク。ウクライナの精霊たち
ウクライナの民間伝承には、川辺で若い男を誘う水の精ルサルカ、森に住む娘の霊マウカ、家の炉を守るドモヴィクなど、多くの精霊が登場します。事典の記述をもとに、それぞれの姿と、キリスト教の祝日と重なって残った経緯、伝承を記録した民俗学者、文学に取り入れた作品をまとめました。
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バンドゥーラを弾いて座るコサック。民画「コサック・ママイ」
あぐらをかいてバンドゥーラを弾くコサックと、そばの馬、樫の木、武器。17〜19世紀のウクライナで家の壁や戸、長持ちを飾った民画「コサック・ママイ」です。決まった構図、18世紀の半ばから加わった人物と「ママイ」という名前、18世紀末にできあがった姿を、ウクライナの歴史百科事典の記述からまとめました。
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キリル文字で署名したフランス王妃、キーウの公女アンナ
ヤロスラウ賢公の娘アンナは、1051年にランスの大聖堂でフランス王アンリ1世と結婚し、夫の死後は幼い王フィリップ1世の摂政になりました。キリル文字の署名、再婚と破門、わからないままの晩年、そして「国王が誓いを立てた福音書」の話がどこまで確かかをまとめました。
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1812年に原本が焼けた叙事詩『イーゴリ遠征物語』
1185年、ノヴホロド=シーヴェルシキーの公イーホルはポロヴェツとの戦いに敗れて捕らえられました。この負け戦をうたった『イーゴリ遠征物語』は、1795年に写本が見つかり1800年に刊行されたあと、1812年の火事で原本を失いました。作品の中身、偽作をめぐる論争、ウクライナでの読まれ方、日本語訳をまとめました。