記事一覧
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『過ぎし年月の物語』は、1110年代のキーウで3度編まれた
キーウ・ルーシの歴史を伝える年代記『過ぎし年月の物語』は、12世紀の初めにキーウの修道院で編まれ、数年のうちに3度手を入れられました。原本は残っておらず、いま読めるのは14〜16世紀の写本です。誰が編んだとされるのか、写本はどこにあるのか、年の数え方、日本語訳の書名まで、事典と校訂本からまとめます。
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早瀬を沈めた1932年のダムから、ドニプロ川は階段になった
ドニプロ川には、上流のキーウから下流のカホウカまで、水力発電所のダムと貯水池が六段に連なっていました。1932年にザポリッジャで動き出した最初のダムは、川の早瀬を水の下に沈めました。六つのダムと貯水池が造られた年と大きさ、失われた早瀬、2022年以降の被害を、事典と国営の水力発電会社の資料からまとめます。
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「ウクライナ国家の日」は、聖ヴォロディーミルの日に置かれた
ウクライナの祝日「ウクライナ国家の日」は、2021年の大統領令で生まれ、2022年の法律で祝日になり、2023年の法律で7月28日から7月15日へ移りました。なぜキーウ・ルーシの洗礼の日と重ねたのか、なぜ13日早めたのかを、大統領令と法案の説明書からたどります。2026年9月時点の扱いも書きます。
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1740年、メジビージに招かれた治療師。バアル・シェム・トーヴとハシディズム
ユダヤ教の信仰運動ハシディズムは、18世紀のポディッリャ地方で、治療師バアル・シェム・トーヴのまわりから生まれました。1740年から暮らした町メジビージ、禁欲ではなく喜びを説いた教え、弟子たちが広げた運動、ひ孫でウマニに眠るブラツラウのナフマンまでを、二つの事典の記述でたどります。
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国勢調査では4万7千人、推計では最大40万人。ウクライナのロマと国の戦略
2001年の国勢調査でウクライナのロマは4万7,587人でしたが、政府の戦略は実際には20万〜40万人にのぼる可能性があると書いています。身分証を持たない人、学校、住まい、ロマ語の教育まで、2021年に承認された2030年までの戦略と行動計画が何を課題とし、何を決めたのかをたどります。
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ハンガリー語で学べるのは何年生までか。教育法第7条をめぐる6年
ザカルパッチャ州のハンガリー系の学校では、2017年の教育法で5年生から上の授業をウクライナ語に移すことになり、ハンガリー政府は強く反発しました。2020年の法律で割合が決まり、2023年12月の改正を経て、ハンガリー語などEUの公用語で学べる範囲は大きく広がりました。
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ドヴジェンコが映画を撮り始めた、オデーサ映画撮影所
オデーサ映画撮影所は1919年に生まれ、1920年代にはウクライナ映画の中心でした。ドヴジェンコが最初の作品を撮ったのもここです。1930年代以降はモスクワの撮影所の拠点として使われた時期があり、いまは非公開の株式会社で、国の持ち分をめぐる裁判もありました。名前の変遷、主な作品、いまの所有をたどります。
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原発のタービンをつくるハルキウの工場、旧トゥルボアトム
ハルキウで1934年に稼働したタービン工場「トゥルボアトム」は、原子力・火力・水力の発電所のタービンをつくってきました。2021年に合併して社名を変え、株式の75%あまりを国が持つまま、内閣の民営化の一覧に載っています。工場の歩み、つくっているもの、国の持ち分、全面侵攻のもとでの動きをたどります。
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映画1本に国はいくら出すか。ウクライナの映画支援法と公募
ウクライナの映画支援は2017年の法律で決まり、2026年6月の改正で書き換えられました。国が出せるのは、商業的な映画で製作費の70%まで、子ども向けや映画祭向けで80%まで、教育映画やデビュー作は100%まで。お金の出どころ、公募の決め方、外国の撮影への払い戻し、ロシアの映画を締め出す条文まで、条文から追います。
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「グリーン料金」は2030年まで。ウクライナの再エネ買い取りと未払い
ウクライナは2008年から、太陽光や風力の電気を国が決めた値段で買い取ってきました。2020年の法律で料金は引き下げられ、国債で未払いを返す規定は毎年止められています。2026年夏の支払いの水準、占領された地域の発電所の扱い、2024年に始まった入札の結果をまとめました。