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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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記事一覧

  1. 人と暮らし/実用ガイド

    日本の病院に行く前に、保険の証明と症状のメモを用意する

    日本で具合が悪くなったとき、病院の受付では保険の証明を見せ、問診票に症状を書きます。119番の通訳は英語・中国語・韓国語なら全国で受けられますが、ウクライナ語は地域の消防本部しだいです。かかる医療機関の探し方、予約で確かめること、ウクライナ語の問診票や医療用語集がどこにあるかをまとめました。

  2. 人と暮らし/実用ガイド

    引っ越したら14日以内。日本の住民登録で出てくる言葉

    日本では、市区町村に住所を定めたら14日以内に転入届を出します。中長期在留者は在留カードを持って転入届を出せば、入管法の住居地の届出も同時に済みます。住民票、住民票の写し、転出証明書、マイナンバー、転入予約など、窓口で出てくる言葉を手続きの場面に沿って説明します。

  3. 人と暮らし/解説

    ウクライナの12年制の学校、最後の3年間は2027年に始まる

    ウクライナの学校は、初等4年・基礎中等5年・プロフィール中等3年の12年制で、12年間すべてが義務教育です。入学は原則6歳、遅くとも7歳。ただし最後の3年制は2027年9月に始まる予定で、いま卒業する学年は11年で学校を終えます。大学入試も、法律上のZNOにかわって2022年からNMTが続いています。

  4. 日本とのつながり/解説

    横浜とオデーサ、京都とキーウの姉妹都市は何を約束したのか

    姉妹都市には法律上の定義がなく、提携書の本文に書かれるのは多くの場合、友好親善と相互理解の促進です。横浜市とオデーサ市、京都市とキーウ市の提携は、どんな文書で結ばれ、誰が担い、何が続いてきたのか。2023年に横浜とオデーサが結んだ覚書は、目的と期限を書き込んだ、もう一段具体的な文書でした。

  5. 陶器の鉢に盛られた穀物とケシの実の料理クチャー

    文化・歴史/解説

    ウクライナのクリスマスは1月7日から12月25日へ

    ウクライナでは2023年7月の法律で、国の祝日の一覧から1月7日のクリスマスが外れ、12月25日だけが残りました。同じ年の9月には、二つの大きな教会が12月25日に祝う暦へ移っています。法律、教会の暦、家庭の祝い方を分けて、聖夜の12品やコリャードカまで説明します。

  6. 文化・歴史/解説

    ウクライナ語とロシア語はどこが違うのか

    ウクライナ語とロシア語は同じキリル文字を使いますが、ウクライナ語には і、ї、є、ґ があり、ы、э、ъ、ё がありません。「г」の音、「はい」「いいえ」の語、ポーランド語からの借用にも違いが出ます。帝政期に「方言だ」とされた経緯とあわせて、二つの言語の近さと遠さを説明します。

  7. 文化・歴史/解説

    「キエフ」が「キーウ」になった日と、地名の綴りの決まり方

    2022年3月31日、外務省はウクライナの首都の呼び名を「キエフ」から「キーウ」に改めました。変わったのは都市の名前ではなく、Київ の書き写し方です。ラテン文字の綴りを定めるウクライナの政府決定、#KyivNotKiev、法令による地名の改称、歴史資料の中の旧表記の扱いを順に見ていきます。

  8. ウクライナ最高会議議事堂の入口。「ВЕРХОВНА РАДА УКРАЇНИ」の金文字が掲げられている

    文化・歴史/解説

    クリミア移管から核兵器の放棄まで、戦後ウクライナの半世紀

    1946年の飢饉から、1954年のクリミア移管、1986年のチョルノービリ原発事故、1991年の独立と国民投票、1994年のブダペスト覚書、1990年代のインフレと通貨改革までをたどります。1954年のクリミア移管については、公式に示された二つの理由と、研究者が推定する動機を分けて示します。1991年12月1日の国民投票では、27の行政単位のすべてで、投票した人の過半数が独立に賛成しました。

  9. 毛皮帽とマントをまとい、紋章の盾の前に立つヘーチマン、イヴァン・マゼーパの全身像。下部に署名の複製が添えられている

    文化・歴史/解説

    コサックの自治が終わり、ウクライナ語の出版が禁じられるまで

    1648年のフメリニツキーの蜂起から、原本が残っていない1654年のペレヤスラウ協定、1764年のヘーチマン職廃止と1775年のシーチ破壊、1863年と1876年のウクライナ語出版の禁止を経て、第一次世界大戦の直前までをたどります。蜂起のなかでユダヤ人共同体が受けた被害は、推計の違いをそのまま示しています。

  10. 赤れんがの城壁と木造の上部構造を持つキーウの黄金の門。頂に金色のドームを持つ教会が載る

    文化・歴史/解説

    キーウ・ルーシから16世紀まで ── ハールィチ・ヴォルィーニと二つの合同

    紀元前5000年ごろのトリピッリャ文化から、黒海沿岸のギリシャ植民市、キーウ・ルーシ、リトアニア大公国、1569年のルブリン合同と1596年のブレスト合同まで、コサックが現れる前のウクライナの地の歴史をたどります。キーウ・ルーシを「単一の古ルーシ民族」の国とする見方は、1930年代にソ連共産党が委嘱した歴史家のパネルが示した公式の枠組みです。フルシェフスキー以来のウクライナ史学は、ハールィチ・ヴォルィーニ公国をキーウ国家の後継とみてきました。