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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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記事一覧

  1. 文化・歴史/解説

    火事から14年、ウィーンの設計で建て直されたオデーサの歌劇場

    オデーサの劇場は1810年に最初の上演の季節を迎え、1873年に焼けました。いまの建物はウィーンのフェルナーとヘルマーの設計で1887年に開き、沈む地盤と補強の工事を繰り返してきました。三つの事典とユネスコの記載から、年の食い違いも含めてたどります。

  2. 文化・歴史/解説

    スルタンが帰郷を許すオペラ『ドナウの向こうのザポロージェツ』

    1863年、サンクトペテルブルクで初演された喜劇オペラ『ドナウの向こうのザポロージェツ』は、シーチを追われたコサックの物語です。作曲者は自ら主人公を歌った歌手フラク=アルテモウシキー。台本の作者、「最初のウクライナのオペラ」という言い方、史実との違いを、事典と劇場の資料から見ます。

  3. 文化・歴史/解説

    コサックの舟「チャイカ」の寸法は、一冊の本から来ている

    ザポリッジャのコサックが黒海へ漕ぎ出した舟「チャイカ」。長さや乗員の数の多くは、1660年にルーアンで出たフランス人技師ボープランの本に行き着きます。その本は舟を「チャイカ」とは呼んでいません。舟の作り、事典どうしの数字の違い、ドニプロ川から引き揚げられた舟の扱いを見ていきます。

  4. 文化・歴史/解説

    ヘーチマン・マゼーパの22年と、元禄の日本

    1687年にヘーチマンに選ばれたイヴァン・マゼーパは、1709年まで22年間ウクライナのコサックの国を率い、教会と学校に多くの寄進をしました。同じ年月、日本は元禄から宝永へ。生類憐みの令や赤穂事件と同じ年表に並べ、「裏切り者」という呼び名が誰のものだったかも見ていきます。

  5. 文化・歴史/解説

    1051年、洞窟から始まった修道院。キーウ・ペチェールシク大修道院

    年代記は1051年の項に、キーウの丘の小さな洞窟から修道院が始まった物語を置いています。「ラヴラ」の称号を得た年、1615年の印刷所、1718年の火事、1926年の保護区、1941年の大聖堂の爆破まで、事典によって食い違う年も並べながら、年表でたどります。

  6. 文化・歴史/解説

    1574年、リヴィウで刷られた『アポストル』と『アズブカ』

    1573年2月25日に刷り始め、1574年2月15日に刷り終えた。リヴィウで出た典礼書『アポストル』の奥付には、印刷者イヴァン・フェドロヴィチの来歴が書かれています。同じ年の小さな読み書きの本『アズブカ』とあわせて、中身と残った本、「ウクライナで最初の印刷本」という言い方の条件を見ます。

  7. 文化・歴史/解説

    「マルーシャ」とハルキウの劇場。クヴィトカ=オスノヴヤネンコ

    1834年の『小ロシアの物語』に収められた「マルーシャ」などの物語は、ウクライナ語でまじめな題材が書けることを示したと事典は説明します。作者のクヴィトカ=オスノヴヤネンコは、ハルキウで劇場の支配人も務めた地主でした。生涯と作品の年、ゴーゴリ『検察官』との関係をめぐる説を、二つの事典から見ます。

  8. 文化・歴史/解説

    1921年の『夜明け前の歌』。日本語で童話を書いたエロシェンコ

    1921年、東京の叢文閣から、目の見えない詩人ヴァスィリー・エロシェンコの童話集『夜明け前の歌』と『最後の溜息』が出ました。1914年から7年間日本にいた彼の日本語の本、中村彝らが描いた肖像、生まれた場所と晩年の経歴で事典が食い違う点を、書誌と事典から見ます。

  9. ビジネス・復興/解説

    予算1億8,700万フリヴニャのアニメ映画『マウカ』と制作スタジオ

    レーシャ・ウクラインカの戯曲をもとにしたアニメーション映画『マウカ 森の歌』は、2016年に国の公募に選ばれ、2023年3月にウクライナで公開されました。構想から公開までの年表、予算と国の資金、国家映画庁が発表した「独立以来最高」の興行収入が何と比べた数字なのか、国外での公開と続く企画を、制作会社と国の発表からまとめます。

  10. 社会を知る/解説

    外国映画はウクライナ語で。映画館の言葉を決めてきた法律

    ウクライナの映画館では、外国映画はウクライナ語に吹き替えて上映するのが原則で、原語にウクライナ語の字幕を付けた上映は、映画館ごとに月の上映回数の10%までです。1998年の映画法から、2007年の憲法裁判所の決定、2012年の言語法、2019年の国家語法、2024年の英語の法律まで、映画の言葉の条文の移り変わりをまとめます。