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文化・歴史/解説

山の霊と羊飼いの夏、コツュビンシキー『忘れられた祖先の影』

映画『火の馬』の原作、ミハイロ・コツュビンシキーの中編小説『忘れられた祖先の影』(1911年)は、カルパティアの高地に暮らすフツルの村の物語です。対立する家に生まれたイヴァンとマリチカ、夏の放牧地の暮らし、山の霊と呪術師。作家の生涯と、村に滞在した年を事典で確かめながら、小説の中身をたどります。

画像:Ukrainavi

オリュカのひとこと

作者は、フツルの村の暮らしをどこで見たのでしょう。1910年と1912年の滞在を、本文で確かめられます。

Іван був дев’ятнадцятою дитиною в гуцульській родині Палійчуків.(イヴァンは、フツルのパリイチューク家の19番目の子どもだった)

ミハイロ・コツュビンシキー『忘れられた祖先の影』の書き出し(日本語は本記事の訳)

ウクライナ西部、カルパティア山脈の高地に暮らすフツル(гуцули)の村を舞台にした中編小説『忘れられた祖先の影』(Тіні забутих предків)は、1911年に書かれました。作者はミハイロ・コツュビンシキー(Михайло Коцюбинський、1864〜1913年)。日本では、この小説をもとにしたセルゲイ・パラジャーノフ監督の映画『火の馬』のほうが知られているかもしれません。この記事は、映画ではなく小説そのものを取り上げます。

統計係として働いた作家

アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の Internet Encyclopedia of Ukraine(IEU)によれば、コツュビンシキーは1864年9月17日、ポジッリャ地方のヴィーンヌィツャで生まれました。生家はいま「ヴィーンヌィツャ文学記念博物館」で、博物館によれば、この家で生まれた作家は、途中で離れた時期をはさんで1897年までここで暮らし、博物館は1927年11月8日に開かれています。

若いころに民衆派(ナロードニキ)の運動に関わり、警察の監視を受けるようになりました。監視が始まった経緯は、IEUは1882年に神学校を追われたこととし、ウクライナ科学アカデミーの文学研究所が編んだ『ウクライナ文学百科事典』(1988〜1995年刊)は1884年の事件をきっかけとしていますが、どちらも監視は生涯続いたと書いています。

生活のために、家庭教師、ブドウの害虫フィロキセラの調査委員会の仕事などをしたあと、1898年にチェルニーヒウへ移り、地方自治会(ゼムストヴォ)の統計係として働きます。IEUは、仕事と地域の活動に追われて書く時間がとれず、それが早い死につながったと書いています。ウクライナの学術と文学を支援する団体が年金を出し、仕事を辞められるようになったのは1911年で、2年後の1913年4月25日に心臓の病気で亡くなりました。亡くなった場所を、IEUはキーウ、『ウクライナ文学百科事典』はチェルニーヒウとしています。『ウクライナ文学百科事典』によれば、チェルニーヒウのボルディナ山に葬られました。

IEUは、コツュビンシキーを19世紀末から20世紀初めのウクライナで最もすぐれた作家の一人とし、初期の民族誌的な写実から、ウクライナ語で書く最も才能ある近代派(モダニスト)の作家へと移っていったと評価しています。『ウクライナ文学百科事典』は、その作風を印象主義と結びつけています。

カルパティアの村に滞在して

IEUによれば、コツュビンシキーは1910年と1912年に、カルパティア山中の村クルィヴォリウニャ(Криворівня)に滞在しました。この村は、いまのイヴァーノ=フランキーウシク州にあり、20世紀の初めにはイヴァン・フランコ、ミハイロ・フルシェウシキー、レーシャ・ウクラインカら、多くの作家や学者が夏を過ごした場所でした(IEU)。

小説が書かれたのは、この二度の滞在のあいだの1911年です。『ウクライナ文学百科事典』によれば、書いたのはチェルニーヒウの家で、この家はいまコツュビンシキーの記念博物館になっています。IEUは、小説が本として出た年を1913年としています。

IEUは、この作品を、異教の悪霊の信仰と民間の伝説を広く取り入れた、フツルの暮らしを描く心理の中編小説と説明しています。

対立する家に生まれた二人

小説は、イヴァンの子ども時代から始まります。パリイチューク家とフテニューク家(Гутенюки)は長く対立していて、教会の祭りから帰る道で両家の男たちが斧(バルトカ)を振るう争いになり、頭を打たれたイヴァンの父は翌日に亡くなります。その争いの日に、幼いイヴァンが出会うのが、フテニューク家の娘マリチカです。

二人は成長して恋人になりますが、イヴァンが夏の高地の放牧地(ポロニナ)へ働きに出ているあいだに、マリチカはチェレモシ川を渡ろうとして急な増水に流されてしまいます。イヴァンは姿を消し、6年のあいだ消息がありませんでした。7年目に村に戻ったイヴァンは、裕福な家の娘パラフナと結婚します。けれども、心はマリチカから離れません。ウクライナ最大の映画アーカイブ、ドヴジェンコ・センターの作品紹介の言葉を借りれば、イヴァンが幸せを見つけるのは、死を前にした幻の中だけです。

ポロニナの夏

ポロニナの場面は、作品の中でも長く書き込まれています。羊飼いたちが「リスト!」と声をかけながら羊を一頭ずつ乳しぼりの桶の上に通し、乳をしぼります。放牧地の小屋では、羊飼いの長(ヴァタフ)が、乳が固まるのを待つあいだに、刻み目を入れた木の札を読みます。誰が何頭の羊を預けていて、何を受け取るのかが、その「木の本」に刻まれています。棚には丸い「ブズ」(будз、羊の乳のチーズ)が干され、桶には乳清の「ジェンティツャ」(жентиця)が入っています。

夜、仲間のミコラが語る話では、世界の初めには山がなく、水だけがありました。悪霊のアリドニク(арідник)は羊を作り、バイオリンを作って弾き、神はそれを盗んだ。寒さをしのぐために火を考え出したのもアリドニクで、神の焚き火に唾を吐いたので、それから火に煙が立つようになった、と語られます。

山の霊と、呪術師

作品には、山の森に住む霊が次々に出てきます。マリチカの姿で現れる森の精「ニャウカ」(нявка)、「チュハイスティル」(чугайстир)、姿を消す霊「シチェズニク」(щезник)などです。イヴァンの隣人ユラは、雹を払う者(градівник)で、呪術師「モリファル」(мольфар)として描かれます。『ウクライナ文学百科事典』は、コツュビンシキーがこの作品で神話的な考え方に向かい、文明がもたらす良い面と悪い面という問題を、民間伝承と民族誌の素材で描いたとしています。

オリュカのひとこと

『火の馬』の製作年は、1964年と1965年のどちらなのでしょう。資料による書き方の違いがこの節にあります。

映画になった小説

この小説は、1964年にキーウのオレクサンドル・ドヴジェンコ記念撮影所で映画になりました。監督はセルゲイ・パラジャーノフ、撮影はユーリー・イリエンコ、イヴァンを演じたのはイヴァン・ミコライチュクです(ドヴジェンコ・センター)。同センターは、この映画を、自館が選ぶウクライナ映画の「Top 100」の1位に置き、20世紀後半のウクライナ文化の発展の転換点になったと位置づけています。日本では『火の馬』の題で知られ、製作年を1965年とする資料もあります。製作国の書き方の違いは、「ウクライナ映画」は五つのものを指すで扱っています。

『ウクライナ文学百科事典』によれば、小説は1960年に作曲家キレイコ(В. Кирейко)の手でバレエにもなり、1989年にはイヴァーノ=フランキーウシクの劇場で舞台化されました。

コツュビンシキーの生家と、晩年を過ごしたチェルニーヒウの家は、どちらも文学記念博物館になっています。IEUによれば、ヴィーンヌィツャの博物館は1927年、チェルニーヒウの博物館は1934年に開かれました。ウクライナの作家をさらに読むなら、ウクライナ文学は何から読むかや、同じくクルィヴォリウニャで夏を過ごしたイヴァン・フランコの記事があります。

出典と記事の記録出典 5件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Kotsiubynsky, MykhailoIvan Koshelivets, Roman Senkus 執筆、Encyclopedia of Ukraine 第2巻〔1988年〕の再録。生没年月日と場所、1882年の放校と監視、チェルニーヒウの統計係、1911年の年金、1910・1912年のクルィヴォリウニャ滞在、作品の年と評価、1913年の単行本、映画〔1964年〕、記念博物館〔1927・1934年〕
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24
  2. Kryvorivniaイヴァーノ=フランキーウシク州の村、20世紀初めに作家・学者が夏を過ごしたこと
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24
  3. Коцюбинський Михайло Михайлович/Коцюбинського М. М. музей у ЧерніговіН. Л. Калениченко, Ю. Б. Кузнецов ほか執筆。生没年月日〔新旧両暦〕と没地チェルニーヒウ、1884年からの監視、ボルディナ山の墓、印象主義、『忘れられた祖先の影』〔1911年〕と神話的思考、バレエ〔1960年〕と舞台化〔1989年〕、チェルニーヒウの家で書かれたこと
    発行:Українська літературна енциклопедія(Інститут літератури ім. Т. Г. Шевченка АН УРСР, 1988–1995)、電子版「Ізборник」 確認日:2026-09-24
  4. Про музей1927年11月8日の開館、1864年9月17日にこの家で生まれ1897年まで暮らしたこと
    発行:Вінницький літературно-меморіальний музей М. М. Коцюбинського 確認日:2026-09-24
  5. Shadows of Forgotten Ancestors / Tini zabutykh predkiv / Wild Horses of FireTop 100 の1位、1964年、撮影所、監督・撮影・出演者、あらすじ、転換点という評価
    発行:Dovzhenko Centre 確認日:2026-09-24

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