記事種別: 解説
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1817年に閉じられ、1991年に戻った学校。キーウ・モヒラ・アカデミー
1615年に寄進された屋敷で始まった兄弟団の学校は、1632年にペトロ・モヒラのもとで学院になり、ヘーチマンや聖職者を育てました。ロシア帝国のもとで衰え1817年に閉じられた学校は、独立直後の1991年に大学として再興されます。その歩みを、事典と法令でたどります。
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諮問機関は「記載の延期」を勧めた。チェルニウツィーの府主教の邸宅
チェルニウツィー大学の本館は、1864年から1882年にかけて建てられたブコヴィナとダルマチアの正教会の府主教の邸宅です。2011年、ユネスコの諮問機関は世界遺産への記載の延期を勧めましたが、世界遺産委員会は記載を決めました。建築家フラーヴカ、邸宅が大学になった経緯、評価が分かれた点をまとめます。
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1814年の巣枠の巣箱。養蜂家ペトロ・プロコポヴィチ
ウクライナの事典は、蜂を殺さずに蜜を取る巣枠の巣箱を1814年に作った人として、ペトロ・プロコポヴィチの名を挙げます。丸太の巣から巣箱への移り変わり、1828年に開いた養蜂学校、「世界初」という評価の読み方、事典で食い違う巣箱の数、FAOSTATに見るいまの蜂蜜の生産量をまとめます。
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北極海から2,820km、終点はドナウ河口の村。シュトルーヴェの測地弧
ノルウェーの北の岬から黒海に近いドナウ河口の村まで、2,820キロ余りの子午線を三角形の鎖で測った「シュトルーヴェの測地弧」。1816年から1855年にかけての測量の目的と、2005年に10か国の世界遺産として記載された34地点のうち、ウクライナにある4地点の標識をまとめます。
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刺繍ではなく、織りで模様を出す。クロレヴェツのルシュヌィク
ウクライナ北東部スームィ州の町クロレヴェツでは、儀礼の布ルシュヌィクの赤い模様を、針ではなく機で織り出してきました。「拾い織り」の技法と模様、婚礼や葬儀での使われ方、事典ごとに違う始まりの年、2012年からの国の無形文化遺産一覧と2020年の地理的表示の登録をまとめます。
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夏は森の上で暮らす。フツルの山の放牧とブルィンザ
ウクライナ西部のカルパティア山地では、森の上の草地「ポロニナ」に夏のあいだ羊と牛を上げ、小屋と囲いで暮らしながら乳からチーズのブルィンザを作ってきました。季節の集落の形、1930年代の放牧の規模、国の無形文化遺産一覧への記載、2019年と2020年の地理的表示の登録をまとめます。
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壺と水差しと粘土の動物、ポルタヴァ州オピシュニャの陶器
ポルタヴァ州の町オピシュニャは、質の良い粘土に恵まれ、何百年も陶器を作ってきました。2012年に国の無形文化遺産に定められたオピシュニャの陶器の中身、陶工の一家、1929年の組合に始まり2002年に止まった工場、1986年に生まれた国立の陶芸博物館=保護区をまとめます。ユネスコの一覧には、2026年9月時点で載っていません。
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筆も絵の具も自分で作った画家、カテルィナ・ビロクール
キーウ州の村ボフダニウカで生涯を過ごしたカテルィナ・ビロクール(1900〜1961年)は、学校に通わず、自分で作った筆と絵の具で花を描き始めた画家です。100を超える種類の花を描いた作品、世に出るきっかけになった歌手への手紙、1954年のパリの展示と、よく語られる「ピカソの言葉」の出どころをまとめます。
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ウクライナで最初の紙幣と切手を描いた、ヘオルヒー・ナルブト
2026年3月9日は、グラフィック・デザイナーのヘオルヒー・ナルブト(1886〜1920年)の生誕140年でした。ウクライナ人民共和国の最初の紙幣と切手の図案を描き、1917年にキーウで開かれた美術アカデミーで教え、のちに学長を務めた人です。紙幣、国章、文字、本に残した仕事と、34年の生涯をまとめます。
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1万4千のことわざをどう並べたか。ノミスとフランコの集成
ウクライナのことわざは、19世紀に番号をつけた本にまとめられました。1864年のノミスの集成はテーマごとに、1901〜10年のフランコの集成は見出し語のアルファベット順に、何万ものことわざを並べています。筆名の主、並べ方の違い、原本の番号とページつきのことわざ7例を紹介します。