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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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記事一覧

  1. ビジネス・復興/解説

    復興の台帳から公共投資の仕組みへ。ウクライナの電子システム「DREAM」

    ウクライナで復旧や公共工事の事業を登録・公開する政府の電子システム「DREAM」は、2022年の実験プロジェクトから始まり、2026年7月の政府決定で国の公共投資全体を扱う仕組みになりました。根拠の決定、管理する組織、事業が通る段階、載っている1万4,611件の数字の読み方を、2026年9月時点の条文と公表で見ます。

  2. ビジネス・復興/データ・資料

    収穫の98%は企業でなく世帯から。ウクライナのくるみと輸出

    ウクライナは2024年、殻をむいたくるみを2万3,318トン輸出し、行き先はフランスやルーマニアなどヨーロッパが中心でした。国家統計局の数字では、収穫の98%以上が農業企業ではなく住民の世帯のものです。殻つきとむき身の違い、「世界○位」の比べ方、日本との関係を、2026年9月時点の統計で見ます。

  3. ビジネス・復興/解説

    6軒の食料品店から1,320店へ。ドニプロ生まれのスーパー「АТБ」

    ドニプロに本拠を置く食品スーパーのチェーン「АТБ」は、同社の説明では1993年に6軒の食料品店から始まり、2026年初めに22州で1,320店を持っていました。「ウクライナ最大」という自称の物差し、版によって食い違う店の数、登記簿に載る売上と利益を、2026年9月時点の資料で分けて見ます。

  4. 社会を知る/解説

    ウクライナの暖房はいつ始まる?「8度・3日」のルールを知る

    ウクライナの都市では、熱をつくる施設から温水を建物へ送る集中暖房が広く使われています。暖房の期間は自治体が決め、「3日間、1日の平均気温が8度以下」は遅くともそこまでに始める期限です。料金は規制委員会と自治体が決め、戒厳令のもとでは家庭向けの値上げが止められています。2026年9月時点の決まりを法令でたどります。

  5. ビジネス・復興/解説

    国内のウラン鉱石はここだけ。ジョウチ・ヴォディの国営コンビナート

    ドニプロペトロウシク州ジョウチ・ヴォディに本社を置く国営企業「東部採鉱選鉱コンビナート」は、ウクライナでただ一つ、ウラン鉱石を掘って精鉱にしている会社です。1951年の設立から、三つの鉱山、カナダを経て燃料の原料になる流れ、2026年の口座の差し押さえと株式会社への転換までをたどります。

  6. 社会を知る/解説

    区分1から4まで。ウクライナの法律が決める「チョルノービリの被災者」

    ウクライナでは、チョルノービリ原発事故の被災者の地位を1991年2月の法律が決めています。事故処理にあたった人と被害を受けた住民を分け、区分1〜4に振り分けて給付を定める仕組みです。汚染地域の区域から、2014年の給付の削減と憲法裁判所の決定までを、条文でたどります。

  7. 社会を知る/解説

    1918年、ヘーチマンの法律で生まれたウクライナの科学アカデミー

    ウクライナ国立科学アカデミーは、1918年11月14日にヘーチマンのスコロパツキーが署名した法律から始まりました。13日後の最初の総会で、地質学者ヴェルナツキーが総裁に選ばれています。名前は4回変わり、2026年3月時点で159の研究機関を抱えます。設立の日の数え方、名前と総裁の年表、職員の数を並べます。

  8. 社会を知る/解説

    ヴォリーニ地方に来たチェコ人。6万5千人から5,917人へ

    19世紀の後半、ロシア帝国で農奴制が廃止されたあと、チェコの農民がウクライナ北西部のヴォリーニ地方に村をつくりました。20世紀の初めに約6万5千人いたウクライナのチェコ人は、2001年の国勢調査では5,917人です。移住の経過と人数の移り変わり、1947年と1990年代の移住を、二つの事典とチェコの統計局・議会の記録で追います。

  9. 社会を知る/解説

    ウクライナの国勢調査は2001年が最後。予定は5回動いて取り消された

    ウクライナで最後に国勢調査が行われたのは2001年12月5日です。次の調査の予定は、内閣の決定で2011年から2012年、2013年、2016年、2020年、2023年と5回動き、2023年10月に取り消されました。1897年からの国勢調査の年表と、戒厳令のあいだは行わないと定めた法律の条文を並べます。

  10. 日本とのつながり/解説

    『羅生門』から『羊をめぐる冒険』まで。日本の小説のウクライナ語訳

    1971年、キーウで芥川龍之介の短編集が日本語からウクライナ語に訳されて出ました。1920年代のハルキウの日本研究から、物理学者で翻訳者のイヴァン・ジューブ、辞書をつくったイヴァン・ボンダレンコまで、日本の文学をウクライナ語にしてきた人たちを百科事典と図書館の目録からたどります。